文学(網走の素顔)

多くの文学者、作家が網走を訪れています

網走の素顔

「現代紀行文學全集 第一卷 北日本篇」(志賀直哉・佐藤春夫・川端康成監修 1958年 修道社)収録作品より

「現代紀行文學全集 第一卷 北日本篇」
(志賀直哉・佐藤春夫・川端康成監修 1958年 修道社)

「オホーツク海と日高の海」 草野心平(発表誌:1955年 『旅』)
「網走は矢張り荒涼としていた。けれども豫想していた程荒涼としてはいなかった。私慾を言えばもっと荒涼とした網走を見たかったのだけれども、そんなことを言ってはしかられるだろう。第一そうした概念に溺れることが先ず間違っているのだ」

あの有名な高倉健主演の映画『網走番外地』が公開されたのは昭和40年、いまや映画を見たことのない人でも網走=刑務所のイメージはどこかで植えつけられ、必然荒涼とした寂しく暗い最果ての地を想像されることでしょう。
『番外地』以前にもそういったイメージはあったようで、詩人草野心平は旅行記でこのように述べています。遠く北海道の海沿いの町であり、流氷が辿り着くとあっては、人も住まないような厳寒の地の果てを想像していたのでしょう。

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「はじめて見た層雲峡から阿寒への道」 倉橋由美子(発表誌:1965年 『旅』)
「網走はあかるい町でした。それは、北方の海、オホーツク海の意外なあかるさのためでしょうか。午後の逆光にきらめく湖、ミズバショウの点在する湖面、エゾマツ、トドマツの防雪林をとおして光る水、緑を映して湖にそそぐ河口‥‥網走の周辺にはいくつかの湖があって、雪と氷が去ったあとの、この水の多い風景は、まことにあかるくおだやかです」

また、作家田宮虎彦は網走の印象をこのように記しています。

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「オホーツク海岸をゆく」 田宮虎彦(1970年)
「網走の町は淋しいさいはての町どころか、むしろ活気のある漁業の町であった。夕方、町に帰りついてたずねていった港の、魚市場の岸壁には帰港した漁船から、北の海の魚であるニシンやスケソウダラが荷揚げされていた。マダラやエビやカレイなどがその中にまじっている。漁船は、終日、つぎつぎに港に帰って来ているのであろう。


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――朝の網走大橋は、早い朝の日差の中を、そんなトラックや荷馬車、満員のバス、急ぎ足の通学生や通勤の人たちが忙しそうに行きかっていく。私は、小一時間、そんな大橋を見下ろしていた。若い女性は東京とかわらないミニを着ている。そこにはさいはての町などという淋しさ、わびしさはひとかけらも感じられない明るさが溢れていた」

マイナスのイメージは、特に雪のない季節には、網走の地に降り立ったとたんにかき消されます。
まぶしく光る網走湖、風に揺れる新緑、どこまでもなだらかに波うち広がる美しい田園風景は、網走にとって特別なものではありません。件の網走刑務所でさえ、東洋一の農園刑務所であり、広大な農地を所有しているのです。
港へ行けばオホーツクブルーの海にたくさんの漁船があふれ、水平線の遥か向こうに連なる知床の山々は目を瞠るような雄大さ、旅人はイメージが単なるイメージであったことに気付くのです。

冬には雪が降り積もり、海岸は押し寄せる流氷で真っ白になりますが、いまや流氷は網走の観光の目玉であり、国内はもちろん海外からも観光客がツアーを組みやってきます。イベントなどもあちこちで開催され、その賑わいも手伝って、ある意味冬は網走が最も活気づく季節といえます。

また市街地では、人口の差はあれど、他の町と変わらない日常風景を繰り返しています。
もちろん網走の歴史には、海を渡ってきたといわれる北方民族や、開拓時代の入植者、道路を切り開き犠牲になった受刑者たちがいることを忘れてはなりません。
けれどもそういった歴史の層がひとつひとつ積み重ねられた上に成り立っている網走の人々の生活は、意外なほど明るくのんびりとしています。厳しい自然環境と向き合っての暮らしは、かつての苦しさ、厳しさを強さに変えてしまうようなおおらかな柔軟性を生み出していったのでしょう。

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